2008年6月アーカイブ

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21_21 DESIGN SIGHT

21_21の企画展を観に行った。
・深沢直人さんの回(チョコレート)…ダメぽ
・佐藤卓さんの回(water)…チケット買ったのに仕事忙しすぎて行けず
で今回は21世紀人。

これがなかなか良かった。
というかダイソンのやつとトマトのやつがなければ相当良かったんだが。クオリティにばらつきがありすぎた気がした。
などというのもおこがましいが、デザイン展なのかアート展なのか、その認識のズレが出展者の間にあったような気がする。そうだとしたら、アーティスト(or デザイナー)の問題じゃなくてディレクション側の問題かもしれないな。
まあそういうアートとデザインを分ける考え方が既に20世紀的なのかもしれんが。

印象に残ってるのは以下。
・ティム・ホーキンソンさんのドラゴン
・三宅一生さんの21世紀の神話
・デュイ・セイドさんのスティックマン
・関口光太郎さんの明るい夜に出発だ
この4作品はとても良かった。

特に21世紀の神話はずーっと観ていたいくらい良かった。
なんだろ、紙でできてるからその質感、サウンド、光、造形、匂い、すべてが一体化してあの世界に引き込まれる感じがした。胴体が8つある龍と8人の娘、なんて設定もファンタジックでいい。
観てると、いろいろなストーリーが頭に浮かんだ。
それに、あんな天井から床から壁からを覆うほどの作品を作り出したパワーにも感動した。(幅1.5mの紙を3km使ったらしいw)
欲を言えば、もっと奥の方まで歩いて入れるようになっていれば楽しかったんだけど。

関口光太郎さんの作品もとても良く。天井まで届く塔みたいな作品なんだけど、ぐるぐるぐるぐる回りながら観て、10周くらいした気がするw
でも回るたびに発見があるような、とてもいろいろなものが詰まった作品で。
あれも作るパワーに感動した。よく作ったなーって。新聞とガムテープでw

という感じでとても良かったんだけど、なんか釈然としない作品も多いという、珍しい感想の展示だった。

希望塾2回目は、服部一成さん。
僕は不勉強ゆえか、今回の6人の講師の方のほとんどを知らない。(たぶん作品は知ってるのだろうけど)
唯一知っているのが服部さんで、キューピーハーフの広告とか、流行通信のADとか、あと今年のTDC賞でもグランプリをとっていたし。ということで楽しみな回だった。

講義の内容は4月に創刊した季刊誌「真夜中」のロゴ制作、アートディレクションについての話から始まって、TDC賞2008でグランプリをとった「視覚伝達」の考え方、その他作品の話・・といろいろだった。

印象に残ったのは…
真夜中の写真ページの話をしていて、「すごい場所とかに行って撮ったすごい写真を使ってデザインをするのではなく、身の回りにあるものや場所を使ってデザインすることにこだわりたい」的なことを言っていたこと。
時にはADと呼ばれつつもグラフィックデザイナーであることにこだわっているのかな、という印象を受けた。素材に頼るのでなく、あくまで手法にこだわるというか。

あとは「視覚伝達」展で物販をした際、メモ帳やエコバックのようなグッズは作らず、ポスターのみを販売した話。グラフィックデザインは、何かの物の付加価値として存在するのではなく、無用であってもそばに置きたいと思うから存在するのだ、それがグラフィックデザインのいいところだ、という意思によるものだそうな。

ほかに…、まあメモに残ってる言葉だけ書いとく。

・ものを見て、「いいなー」と思うその感じを、全然つかまえようともしていなかった。
・ものの良さを味わうとき、どこまで深く味わえるかがとても大事。
 どういいのか、どこがいいのか、を高い解像度で感じることによって、
 いつか技術が身に付いたとき、その感じが作品に出てくる。

森山大道展 @ 写美

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写美

昼休みに写美へ。
森山大道さんの「ハワイ」という展示が明後日で終わってしまうので、それを観に行った。

森山大道さんの写真は「光と影」展の時に観て、やはり良かったので記憶に残ってる。
が、写真はあまり詳しくないし、森山さんという人がどういう点で評価されているかも知らなかったので、いまいちよくわからないまま。
今回は「ハワイ」の他に「レトロスペクティヴ 1965-2005」というのもやっていて、そっちは森山さんのいままでの軌跡を年代別に鑑賞できるものだったので、興味深かった。

先に「ハワイ」の方を観た。
全てモノクロで撮られているんだけど、やはり「光と影」で観たようにコントラストが強くて、白黒がはっきりしている感じの作品が多かった。それと、スナップ的というか、日常っぽい写真も多かった。子供とかを撮ってブレてる写真とか。
あと全部の写真が妙にでかいので、ちょっと観づらかった。やりすぎな気が。笑
奥で展示されてたフィルムが良かったな。昼休みだったし、ちょっとしか観れなかったけど。
ハワイに行きたくなった。

「レトロスペクティヴ」の方では、森山さんのデビューからの活動が年代ごとに展示されていた。ブレボケアレ?だっけ?とにかくピントがずれてたり、画像が荒れてたり、水平じゃなかったりという、写真におけるタブーを作品に取り込んで物議を醸し出したんだそうな。
結局、今だとああいうモノクロで、ノイズが多くて、ブレてたりして、明るさとかも足りてなさげな写真のスタイルってあるんだろうけど、そういうのを最初にやった人ということらしい。
あと、説明の中でグッと来たのが壁の説明に書いてあった「報道写真では、見るものと見られるものが明確である」的なこと。
そういう客観性というか、見る見られるっていう概念はデザインでも大事だし、心のあり方とかでも重要だと考えているから、それが写真でもそうなんだー!と驚いた。

例によって、帰って来てからamazonで調べて、自伝を取り寄せた。
特にファンになったわけでもないんだけどね。面白いといいな。

Chanel Mobile Art

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Chanel Mobile Art

シャネルによるアートプロジェクトを観に行った。
行くまで全然知らんかったのだけど、これの特徴は
・移動式のパビリオンで、香港、東京、NY、ロンドン、モスクワ、パリを巡回
・パビリオンのデザインはザハ・ハディド(ALESSIでもCrevasseをデザインしている)
・パビリオン内では15組のアーティストの作品が展示されている
・パビリオン内では各個人が装着したヘッドホンステレオの音声に従って移動する
というようなもの。
基本的にはアート展なのだけど、ヘッドホンの音声に従って歩いたり、階段を上ったりするあたりはアトラクション的な感じもあった。メディアをうまく使った、新しい試みなのではないかと。

去年観た「グレゴリー・コルベール展」なんかはROLEXが全ての作品を買い取ってスポンサーになっていたけども、プロジェクトとしてのイニシアチブはアーティストにあるように感じた。
ましてMOTでやってたカルティエ財団展なんかは普通のアート展だったし。
という風に考えると、ブランドがアーティストにコミッションワークをさせて、それをぶら下げて巡回展をやるっていうのは、これまた新しい試みと言える。
しかもタダで見せるってのがなんともかっこいい。

とまあ他と比べるまでもなく、なんか新鮮さというか、ちょっと感動があった。
でも作品によるものではなくて(作品も良かったけど)、この新しい仕組みを体感していることと、この仕掛けに満ちた詩的な空気に感動したのだと思う。ストーリー性というか世界観というか。
そういうのがあるアート展て、あんまりないからね。

作品は水面に映った家を眺めるやつがとても良かった。
束芋の穴のやつも良かったな。それと最後にオノヨーコさんのwish treeがあって、驚いた。
あとはまあ、いろいろ。

面積とか考えたらカルティエ財団展の方が全然広いし、作品のクオリティも高かったかもしれない、と思う。
でもアートを使って、観客にある体験を提供するっていう仕組みを考えたことは、素晴らしいと思った。

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そういえば先月だったか、子会社で要らなくなったガラスのラックをもらった。
子会社の机とかを買うとき、役員がIKEAで衝動買いしたこのラック。
かなり処分に困っていたからしょうがなくもらってあげたわりに、ALESSIたちを入れたら、意外と収まりが良く。

せっかくなのでALESSIショップを見習い、フロア(=段)ごとにテーマを設定。
1FはモロッツィのPASTA SETを主役に 、2Fはモカカップ、3Fはポップな系統の製品、4Fはステンレスで美しい系統の製品、とディスプレイしてみた。
いつも、好み的にステンレスのものと陶器のものに興味が行きがちだけれど、こうしてみると3Fのポップな製品群がいかに存在感を持ってるかがわかる。単体であるより、4つ5つとまとまってくると、世界観みたいなのが出てくるのだな。
やっぱり両方あってこそのALESSIなんだなーと再確認した。

照明とか仕込んだら、もうちょっとそれっぽくなるかなー。
んー、楽しいw

異邦人 / カミュ

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異邦人 / カミュ


カフカの「変身」
に続いて、何年も読まずに本棚に入っていた本を開いてみた。カミュの「異邦人」。
この2冊はブックオフでなんとなく、本当に内容も知らず、作者に対する知識もなく、有名っぽいから+100円だから、ということで買って、たぶん4年くらい経っている本だ。ちゃんと読むべき時が来ると読む、というのは面白い。

この本は1942年にフランス人のカミュによって書かれた本。
wikiでも説明されているので、詳しくはそちらを参照。

深い本なので感想を書くのも難しいのだけど、主人公ムルソーの無感動/冷静/淡白な視線は、現代に生きる僕を見透かしたようだった。
つまり、自分らしくありたい、生きる理由がほしい、何でも自分で選びたい、自分の好きな物に囲まれて暮らしたい、感動したい、といったある種贅沢な(そして空虚な)志向は何かの反動であって、それを剥ぎ取れば、つまるところムルソーと同じく「人が生き、死ぬことに理由などない」ということだ。

特に印象的だったのは、最後にキリスト教の司祭を罵る箇所。
〜(前略)〜
他人の死、母の愛ーーそんなものが何だろう。いわゆる神、ひとびとの選びとる生活、ひとびとの選ぶ宿命ーーそんなものに何の意味があろう。ただ一つの宿命がこの私自身を選び、そして、君のように、私の兄弟といわれる、無数の特権あるひとびとを、私とともに、選ばなければならないのだから。君はわかっているのか、いったい君はわかっているのか?誰でもが特権を持っているのだ。特権者しか、いはしないのだ。他のひとたちもまた、いつか処刑されるだろう。君もまた処刑されるだろう。
〜(後略)〜

「生きる」ことを冷徹に見つめ、「生活」というごまかしで薄めなかったことが、ムルソーが貫いたことだったと言えるだろうか。

つまり僕自身になぞらえて言えば、ある日の僕は、仕事をする、晩ご飯を食べる、ボッサと遊ぶ、音楽を聴く、ネットを見る、というそれぞれに没入して、それが途切れずに延々と続くような生き方をしている。それぞれが楽しみであり、これが続く限り僕は「生きる」ことを凝視することはない。
逆に言うと、生きることを細切れにして、それぞれの時間をいろいろな趣味や仕事に置き換えることで、ちゃんと生きているような気になっているのかもしれない。でもそれってどうなんだ。

あとがきには、「人間とは無意味な存在であり、すべてが無償である、という命題は、到達点ではなく出発点であることを知らなければならない」とあるが、このことは人生の中でいつかちゃんと理解する必要があるだろうと思う。いつになるかはわからんが。

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1980年に発行された、田中一光さんのエッセイ集。
1964年〜1980年にかけていろいろな雑誌に寄稿した文章をまとめ、書き下ろしを加えたものみたい。

田中一光さんの本はこれで4冊目なので、いい加減慣れて来た感もあるけど、文章は相変わらず素晴らしいので退屈せず読むことができた。

後で抜き書きしようと思って紙をはさんであるから、下手な感想よりそれを転載しておく。

翔ぶということは、つまり見方を変えることにある。ワクの中で、いくら懸命に走り出しても、足が地から離れることにはならない。真面目にレッスンを重ねる努力があったとしても、望むところの翔べる視界は容易に近づいてはくれない。むしろ、誠実に対しては非情な、無頓着な独創性が必要なのだ。完成されたものに従うのではなく、自分にとってどうかということにおいて、軽快に冴えていなければならない。(中略)
人間が正しいと決めたものの裏を正面にすえてみる。快適に対する不便、孝行に対する極道、信頼に対する冗談、そうした罪悪のすれすれのネガチブな地点から、翔ぶことのできる発想が生まれるように思う。だから翔ぶのは一人の方がいい。連帯は望めない。(中略)
志を抱いて翔ぼうと思ってはいけない。できるだけ肩をおとして楽な気分で、自分を偽らず、きわめて平易に、冗談に接近しなければならない。

・・長いな。この文章はまだ発想の転換を促すような言葉が続くんだけど、とりあえずおいといて。

いつの間にこんな息苦しいばかりの情報の渦に身を投じることになってしまったのだろう。それでいて少しも満たされてはいない。人間はいま感動を渇望し、孤立し、重大な身上相談ですら安易にディスクジョッキー氏にもちかけたりするのだ。
ぼくのような戦時戦後の世代であっても、飽食と同時に発生する現代の飢餓感が、どんな恐ろしい様相を呈するかそれは予想できるものではない。食べ物を残すのはもったいないことだ。一粒の米にも天の恵みと農民の労苦が秘められていると、ぼくたちは親からしつけられてきた。しかし今、空恐ろしいと思うのはそうした教訓とはかなり質の異なった飢餓感なのである。

この文章が書かれてから28年。インターネットや携帯電話の普及もあって、田中一光さんの指摘する「飢餓感」は、とんでもないところまできてしまっている。

そんな感じで、示唆に富んだいい本だった。

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大岩オスカール 夢見る世界

雨の中、MOTヘ。
1965年にブラジルで生まれ、二十台半ばから三十代半ばを日本で過ごし、現在はNYに在住するアーティスト、オスカール大岩さんの個展だった。
作品はペインティングが中心。量はちょっと少なかった。

序盤、「鯨」やベニヤ板にペインティングした「ハチ公のレントゲン」等を観て、すごい妄想家だ、と思った。「もしかして、こうなってたりして」という遊び心たっぷりのアイディアを、ネジ一本一本まで細かくビジュアル化している。
そしてその妄想は一連の動物が現れる作品で花開く。「エイジアンドラゴン」「野良犬」といった作品は、街にいるはずのない動物、あるのはずのない花畑が描かれる。
でもその風景を、不思議と違和感なく感じて、受け入れてしまった。こんなこともあるかもしれないな、と。そこが大岩オスカールさんの才能ではないかと思う。

あと、たぶん長谷川さんによるキュレーションと思われる。絵を並べる順番とかにも、すっかりやられてしまった。
ただ、2階がフィルムだけってのはちょっとあっけなかったかな・・。
え?もう終わり?っていう人もいたと思う。

某webデザイナーさんのブログを拝見していて知った「希望塾」というのが勉強になりそうだったので、受講することにした。今日が第1回。

雲のうえ」という北九州市が発行しているフリーペーパーを軸にした講義だった。
この本は、北九州市のPRを目的として、主に飛行機の中などで配布されているらしい。東京でもABCなどでもらえるみたい。
お二人はそれぞれ、有山さんがADで、牧野さんが編集委員として関わっている。

このプロジェクトを始めるにあたって、まず「市側が編集内容に口出ししない」ことを条件とした、という話にまず驚いた。僕がやっているような仕事では考えられない。(口を出されまくる)
思うに3つ要因があって(最初の2個は言い訳っぽいけど)、1つめは発注者と受注者の関係。
発注者側からお願いします、っていうスタンスなのか、イーブンの関係なのか、5社プレゼンみたいな状況(ぜひ弊社にやらせて下さい!的な)なのか、にもよるのかなあ、ということ。
2つめは受注を目的としているのか、いい仕事をすることを目的としているのか、ということ。僕の今の業務では、「条件内(主に予算)でどんなことができるか」という受注を目的とした動きをすることが多い(もちろん、割に合わないようなことはしないけど)。しかし、その発想ではない、つまり「そうじゃなかったらやらないよ」と言えるところが強いと思った。
3つ目は覚悟の問題。口出しをされれば内容についてもクライアントにも連帯責任が生まれ、「いいっていったからこうしたんです」「作ってる時は何も言わなかったじゃないですか」という論理が成り立つ。口出しをさせなければ、受注側は内容について完全に責任を負わなければならない。それは、口出しされないで人のお金で好きなものを作れる♪っていう気楽なものではなくて、ある意味こういう本を作る上で一番重い部分を背負い込むことになるのだと思う。有山さんと牧野さんは、それをやっている。

次に、客観性と主観性の問題。
牧野さんは北九州市の出身だそうで、故郷のことは良さも悪さも知っているし、愛着や思い入れも持っている。でもだからこそ、客観性を持って、外から見た北九州市の良さを伝えたい、と言っていた。
一方で有山さんはロケハンには半分くらい参加している、と言っていた。その理由は忙しいからかと思ったら違って、ロケハンに全部行くと、その苦労や思い入れを分かりすぎてしまうから、後で本を作る時に冷静な判断が出来なくなてしまうからだという。
例えばある写真を撮るのにすごく苦労したとしても、本を良く見せるためにそれを落とす(使わない)ことが必要な場合もある。その判断が鈍らないようにするには、全部ロケハンに行ってはダメらしい。かと言って、全く参加しないと、その空気を知ることができない。だから半分だけロケハンに参加しているそうだ。
とても深い考えのもとに行動しているんだなあ、と感心してしまった。

あとは、お二人の関係が妙に微笑ましかったのが印象に残っている。
なんというか、お互い相手の領域に踏み込まないように遠慮しつつも、どこか相手にとってプラスに作用しているというか。
牧野さんが表紙のイラストについて話す時に「どういう表紙を作るつもりか聞くと悪いから」的なことを言っていたが、僕なんかは別に悪くはないだろう、と思ってしまう。変にサバサバしてしまっているのかも知れない。たぶん、牧野さんたちにとっては、取材した写真や文章が一冊の本に変るという過程(つまり有山さんの仕事)は、踏み込んではいけない神秘性を持った領域なんだと思う。(牧野さん自身もサン・アドでデザインの仕事をされていた経験があるにも関わらず、である)
一方で有山さんも、牧野さんの視点を本のデザインに活かそうとしている、と話していた。いろいろな人の視点ではなく、1人の視点が一冊の本を貫いていた方が、面白いと。
そういう意味ではお互いがお互いを尊重していて、自分が一歩引くことで、相手がいい動きをするということをわかっているからこそ、の発言だと思った。ありていに言えば信頼関係が築かれているからこそ、こういう仕事ができるのだろう。

ということでやや長くなったけど、まだまだ全然書ききれていないと思う。
とても勉強にまた刺激になった講義だった。今後の講義も楽しみ。

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なんか久しぶりにALESSIのこと書くなあ。
相変わらず、飽きもせずいろいろと買ってるんだけど。
最近なんてエスカレートして、ALESSIだけについてまとめたホームページを作っちゃおうかと思って、検討中。
昔はみんな、趣味のサイトを作ったりしてたんだけど、最近はみんなブログになっちゃってる。だから、たまにはそういう「○○のホームページ」みたいなのを作っても面白いかなーと思って。

BLOW UPシリーズから、キャンドルホルダーを購入。
前に買ったCACTUS!のキャンドルホルダーと比べると・・なんだろ、たき火?キャンプファイヤー?笑
でもいい感じ。消してから上のとこに触ったら、ものすごく熱かったけど。当たり前か。
棒の密度が高いので、なんかお得感がある。
照明に使ってるやつとかは、もっとスカスカな感じ。

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2008年来日コンサートホームページ

3月頃からオフィシャルのサイトでは告知されていたらしい。知らなかった・・。

うれしいじゃないですか。
2006年に東京国際フォーラムでコンサートをやったあと、去年は一度もステージに上がってなくて、今年はブラジルやNYで4回だけコンサートをやって、また東京に戻って来てくれる。しかも3日間も。
本気でうれしいなあ。ちょっと泣きそうなくらい。
2006年にコンサートを観てから、どんどん好きになってるんだよなあ。(ちなみにミクシィミュージックによると、再生回数はキリンジに続いて2位)

早く11月にならないかな。今年の夏はこれを支えに乗り切ろう・・。

ハナレグミのフリーライブに行った。
本来はシークレットゲスト扱いだったらしいけど、メッセージ性を打ち出すために告知したみたい。
ハナレグミからのメッセージ(2008年6月11日)
これを読んでは行かないわけにはいかない。会社の人と4人でかけつけた。

代々木公園でやっていて、会社帰りに寄ったので、ボッサも一緒という珍しいライブ鑑賞になった。
だっこしていたけど、人が多すぎてびびっていた。気の毒だったけどハナレグミが歌ってるのに帰るわけにも行かず・・。

歌は良かったし、ゲストとして出演していた高野寛さんや原田郁子さんのハーモニーもよかった。
でももうこれは歌詞がいいとか曲がいいとかいう話でもなく、イベント自体や永積さんが打ち出したメッセージに共感できるか、ということじゃないかと思う。
そういう意味では、僕を含めちゃんと来場者の心に働きかけて(もちろん少し、だろうけど)、行動に結びつけることができたのか、というのはやや疑問。
例えば、前に行ったホワイトバンドのイベントでは槙原敬之さんが歌ったり、テイトウワさんがDJをしたりもしたけど、結果として僕はイベントの後からPlanを通じてサポートを始めたり、フェアトレードのお店に行ってみたりという行動を起こした。
そうやって意識を変えさせるのが、啓蒙イベントの役割じゃないかな、と。

まあでも仕事が終わったのが19時だったから、どういうイベントだったのか全然知らないんだけど。
多くの人にとって、行動にきっかけになるイベントだったことに期待したい。

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G8で観てきた。
同じくらいの年代の人たちの作品だったから、とても刺激になった。
がんばる。

変身/ カフカ

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変身/カフカ

重松清さんの「ナイフ」の中で、「朝、目覚めたら虫になっていた話が〜〜」というような部分があって、それがこの「変身」。
本棚に入れたっきり読んでなかったので、思い出しついでに読んでみた。薄いのでわりとすぐ読めた。

1行目から斬新。
ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。
ものすごい簡潔、かつ異様な冒頭部分から物語が始まる。なんで虫になったかという説明は一切なく、家族も虫になったことをすんなり受け入れてしまう。

名作と言われるだけあって、いろいろな読み方ができる。
例えば虫というのは何かの象徴なのかもしれない。病気とか。
変身したのはグレーゴルではなく、家族という見方もある。(このへん読まないとわからないが)
最後の部分、グレーゴルが死ななかったら、どんな凄惨な展開になっていたかと思うと、それはそれで恐ろしい。
いや、でも結局自分の手は汚していないというのが、現代の人間らしくもある。

なんて、特にオチもなく考えさせてくれるというのが、名作文学っぽいな。

ナイフ / 重松清

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ナイフ / 重松清

実家に泊まったとき、ヒマだったのでブックオフで買ってきて読了。
いじめをテーマにした短編集で、5話くらい収められていたか。

子どもがいじめられたら、どうするだろう。
学校に怒鳴り込む?相手の家に怒鳴り込む?子どもを激励する?転校する?待つ?
いろんな親子がこの本では描かれているけど、正解なんてない。

でも読んでみて思ったのは、子どもには子どものカルチャーとルールがある。
大人の目線で、安易に「イヤなことはイヤって言えばいい」なんていうのは何の解決にもならない。
何ができるかっていうのはその時、一生懸命考えるしかないけど、なるべく早く気づいてあげること、子どもを尊重してあげることは大事なのかな、と思った。

「エビスくん」ていう話が、すごく泣けたなあ。
あとがきによると、重松さん自信の出会いと別れも、ストーリーに折り込まれているらしい。
他にも重松さんの作品をいっぱい買ったから、実家に行くのがちょっと楽しみになった。

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世田谷美術館

横尾忠則さんを取り上げた展覧会に行った。
横尾さんと言えばグラフィックデザイナー出身で、1960年に日本デザインセンターに入社したあたりで田中一光さんのエッセイに登場する。曰く
われわれが、デザインの中にあふれるほど願望し、モットーとしてきた簡素、単純、高品質の前に、枯れは異常なまでのアクチュアルな嘔吐をくりかえす。(横尾忠則の人と作品(1967)/田中一光)だそうである。
要するに反逆児的なポジションだったらしい。
僕が知っているのは一部のポスターぐらいだけど、かなり期待して行った。
会場は終わり際の週末ということで、行列ができていて、まだ見ぬ横尾作品への期待も高った・・・・・・が!

ものすごい期待はずれだったのであった。
別にグラフィックデザインの展示を期待していたわけじゃないけど、なんかもうちょっと、感動があってもいいのではないかと思った。(もちろん感動した人もいただろうけどさ)

Y字路のシリーズは周りの物が説明的すぎるように思ったし、似顔絵みたいなやつもあったけどピンと来ないし、新作とか言ってるルソーへのオマージュ的作品も面白くなかった。

観ながら思ってたのは、岡本太郎さんの言葉。
「芸術とは、心地よくあってはならない。」
うん、そういう意味では芸術かもしれない。
後でwikiを見たら、奇しくも横尾さんは岡本太郎さんを敬愛しているそうだけども。

ということで残念な感じだった・・。
ま、次があるさ。

歌舞伎町クラブハイツにて、菊地成孔さんのライブ。
キャバレーなんて初めて入った。
シャンデリアとか悪趣味なほどにゴージャスで、ちょっと異空間のような気すらした。

いやー、かっこよかった。
演奏の方は以前より熟成されていて、随所に手が加えられていたと思う。
「Susan Sontag」で1/2のリズムと通常のリズムを行ったり来たりしてみたり。
エレキピアノの坪口さんも自らダブっぽいことをやっていてびっくりした。
やっぱり類家さんは凄いというか、彼のソロの時は自分でも驚くくらいの集中力で聴く。
あの音はなんだろう・・。地獄、というのが僕の中でのなんとなくのイメージなんだけど。

また上手いなーと思ったのがセールスのやり方で、前回モーションブルーのライブに行った時に、このクラブハイツの公演を知ってついつい予約したんだけど、今回はニューアルバムの予約をやっていて、思わず予約してしまった。笑
発売より2週間も早く届くっていうし・・サイン入りだって言うし・・。
しかし半年ちょいでニューアルバム発売とはいいペースだね。ジャズっぽい。笑
ということで引き続き楽しみ。

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東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・キーワード編

菊地成孔さんの講義録、後編。
ジャズを「ブルース」「ダンス」「即興」「カウンター/ポスト・バークリー」の4つの切り口から分析し、それぞれの専門家を呼んで講義を聴く、という内容。
前編(正式には歴史編)を読んだのは・・なんと、もう1年半も前だ。

歴史編は相当面白く、2006年の読書ベスト3に入ったほどだったんだけど、このキーワード編は面白いというにはちょっと難しかったかな・・。
いや、難しいことより、具体的なアーティストとか楽曲が歴史編よりも出てこなかったから、抽象的すぎたのかもしれない。
ジャズの違った面を知ることができたのはよかった・・のかなあ。いまいち自信なし。笑

菊地さんシリーズは、次は「憂鬱と官能を教えた学校」を買ってあるんだけど、かなり分厚いので気が重い・・。いつ読むことになるのやら。

そうそう、日曜は菊地さんのコンサート。
こないだのモーションブルーがあまりにもよかったので、今回も楽しみ!

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ケモノと魔法

気配と余韻に続く、原田郁子さんのソロアルバム。

これが、ものすごーーーーーーーーーーーーく良かった。いやいや。参った。
なんというか、原田さんは天然ぽい感じ(失礼だけど、ラジオとか聞いててね)だと思うんだけど、その中にこんなにも鋭い感受性が!というのが驚き。
女の子っぽくきれいな世界を描くだけじゃなく、よくわかんないものもちゃんと直視する。
素朴な感覚を持ち続けていて、表現に寄り過ぎていないというか。

ゲストにはおおはた雄一さん、高田蓮さんなど僕の好きなアーティストも参加していて、とても聴き応えのあるアルバム。
ライブ行きたいなあ。ヤフオクで探してみようかなあ。

あと、ブックCDということで絵本がついてるんだけど、その絵本も原田さん作。
これも絵/文とも良かった。多才だね。

僕の再生ランキング一位、キリンジのコンサートに行ってきた。
(ミクシーによると僕が聴く全音楽の一割弱がキリンジらしい)

前回の野音も開放的で良かったけど、今回の方が近くて良かった。
というか、距離のせいだけじゃなくて、やった曲もよかったのかなあ。
今回はデビュー10周年を記念したツアーということで、ニューアルバムからだけじゃなくて、懐かしい曲も(と言っても僕はここ2年ちょいくらいのファンなので懐かしくもないのだけど)多かった。

セットリストは忘れたけど(ミクシーで探し中)、やった曲で印象的なのは
・五月病
・雨を見くびるな
・エイリアンズ
・イカロスの末裔
・悪玉
・千年紀末に降る雪は
・愛のCoda
・もしもの時は
・朝焼けは雨の兆し
・スイートソウル
あたりかな。
「雨を見くびるな」は特に好きな曲だから、なんかジーンと来てしまった。(そんな歌詞でもないんだけど)
あと「悪玉」で高樹さんが「マイクよこせ早く」と歌った時の盛り上がりが良かったなあ。そんで、泰行さんもそれをみてうれしそうで。そういう暖かさがいいね、キリンジは。
あと「千年紀末」も良かった。ドラムの音2初くらいで曲がわかって、ちょっと優越感。だって、ものすごい聴いてるからね、あの曲。
あと(多い)「スイートソウル」も良かったな。ボッサの散歩しながら、ひたすらリピートして聴いたっけ。横にいた人なんて、感極まって(か知らないけど)泣いてたもんな。

けど特に序盤、高樹さんがピリピリしてるような気がして、なんかちょっと心配だったな。
演奏しながらも後ろ(演奏してるツアーメンバーたち)を振り返る頻度が高くて。あと、MCを振られても最初のほうは全然応じなくて。なんか必死感が伝わって来た。
冗談で、「現場で天皇と呼ばれている」なんて言ってたけど、メンバーの管理とかでイライラしてないといいんだけどね。
ま、気のせいかもしれないけど。
そうそう、あと真城めぐみさんがなんかかわいくなってたような・・(失礼)
やせた?化粧?なんか印象が違った。

会場は敢えてスタンディングのところを選んでチケットを取って、やっぱり正解だったかな。
近いしね。疲れたけど。あと巨人の星のお姉さんばりに柱の陰から観てたけど。笑
あとは、会場の盛り上がりを期待してTシャツ1枚で行ったら、空調が利いてすごい寒くて、後半腕を抱えながら観ていた。笑
完全にもう夏と勘違いしてる人みたいになってたな・・。失敗失敗。

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SMALL TOWN TALK

1月にライブを観に行ったおおはた雄一さんのニューアルバム。
一応カバー集なんだけど、いい感じにおおはた節になってるので、あまり気にならない。(なんだ上原ひろみさんの感想との違いはw)
ライブに行ったときにカバーアルバム作ってるって言ってたけど、そのライブでやってた曲もチラホラ。

好きな曲は高田渡さんのカバー「コーヒーブルース」とボブ・ディランさんのカバー「DON'T THINK TWICE IT'S ALL RIGHT」かな。
特に「コーヒーブルース」は、思えば正月にポッドキャストでおおはた雄一さんが歌ってくれたから、その後の高田渡さん、漣さんといった広がりがあったのだった。
おおはたさんのライブ、また行ってみたいなー。
年間200本とかやってるらしいから、また機会があるだろうけどね。

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ビヨンド・スタンダード

上原ひろみさんのニューアルバム。
前作と同じくトリオ+デビッド・フュージンスキーさん(ギター)の構成。
ジャズのスタンダードだけでなく、クラシック、ポップス、更には自分の曲もスタンダードとして(笑)、幅広いジャンルの曲を演奏している。
サイトもBeyond Standard仕様にリニューアルしてるみたい。

感想は・・そうですなー。
僕が上原ひろみさんにがつんとやられたのは、東京ジャズ2006のセッションの「Someday My Prince Will Come」だった。あのときはハンク・ジョーンズもいたし、いわゆる「王道のジャズスタンダード」の中で上原ひろみさんのアドリブが鳴っていて、僕にとっては一番すんなり入って来たのがあの演奏かな。
今回のはやっぱり上原さん流にアレンジされていて(当然そうじゃないと彼女が作る意味がないんだけど)、やっぱりちょっと今の気分では良いと思えなかったかな。ま、個人的にってことだけど。
でもせっかくスタンダードやるなら、もうちょっと共感を得られるというかさあ、なんかそっちの方を活かしてもいいんじゃないかと思った。

そもそもエレキギターの音が、音楽をハードにしすぎちゃってる気がする。そこの、ピアノとの対比が面白いのかなあ。うーむ。
まだ2-3回聴いただけだし、ちょっと時間をかけてゆっくり聴いていこうかな。

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