
1980年に発行された、田中一光さんのエッセイ集。
1964年〜1980年にかけていろいろな雑誌に寄稿した文章をまとめ、書き下ろしを加えたものみたい。
田中一光さんの本はこれで4冊目なので、いい加減慣れて来た感もあるけど、文章は相変わらず素晴らしいので退屈せず読むことができた。
後で抜き書きしようと思って紙をはさんであるから、下手な感想よりそれを転載しておく。
翔ぶということは、つまり見方を変えることにある。ワクの中で、いくら懸命に走り出しても、足が地から離れることにはならない。真面目にレッスンを重ねる努力があったとしても、望むところの翔べる視界は容易に近づいてはくれない。むしろ、誠実に対しては非情な、無頓着な独創性が必要なのだ。完成されたものに従うのではなく、自分にとってどうかということにおいて、軽快に冴えていなければならない。(中略)
人間が正しいと決めたものの裏を正面にすえてみる。快適に対する不便、孝行に対する極道、信頼に対する冗談、そうした罪悪のすれすれのネガチブな地点から、翔ぶことのできる発想が生まれるように思う。だから翔ぶのは一人の方がいい。連帯は望めない。(中略)
志を抱いて翔ぼうと思ってはいけない。できるだけ肩をおとして楽な気分で、自分を偽らず、きわめて平易に、冗談に接近しなければならない。
・・長いな。この文章はまだ発想の転換を促すような言葉が続くんだけど、とりあえずおいといて。
いつの間にこんな息苦しいばかりの情報の渦に身を投じることになってしまったのだろう。それでいて少しも満たされてはいない。人間はいま感動を渇望し、孤立し、重大な身上相談ですら安易にディスクジョッキー氏にもちかけたりするのだ。
ぼくのような戦時戦後の世代であっても、飽食と同時に発生する現代の飢餓感が、どんな恐ろしい様相を呈するかそれは予想できるものではない。食べ物を残すのはもったいないことだ。一粒の米にも天の恵みと農民の労苦が秘められていると、ぼくたちは親からしつけられてきた。しかし今、空恐ろしいと思うのはそうした教訓とはかなり質の異なった飢餓感なのである。
この文章が書かれてから28年。インターネットや携帯電話の普及もあって、田中一光さんの指摘する「飢餓感」は、とんでもないところまできてしまっている。
そんな感じで、示唆に富んだいい本だった。
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