
gggで原研哉さんの展示が始まり、原さんによるギャラリートークもあったので予約して行ってきた。
原さんはグラフィック、プロダクトデザイナーで、無印良品の広告戦略を担当している方。
僕は前に原さんの著書である、デザインのデザインを読んだことがあるけど、今回は新しい著書「白」の出版に合わせた個展だったみたい。
まずgggに行って、展示をチェック。
展示コンセプトからか、スペースをとても贅沢に使っていて、1Fは焼酎のボトル、香水のボトル、雑誌の表紙が30枚くらい、モニタが3個、ポスターが4枚といったところか。地下はもっと贅沢で、水滴が流しそうめんみたいに樋を伝って落ちたり、パチンコみたいに障害物に跳ね返りながら落ちたり、という装置が3つ。まあ無料だし、展示のボリュームに関して文句を言うつもりはないけど。
地下の展示は、水滴がダイヤモンドのようにきれいだった。以前SENSEWARE展で展示していたものかな?(行ってないけどw)
1階の展示は、まあ・・みたいな。ボトルは綺麗だった。これ。ケンゾーの香水、いい匂いだったな。こんどはあれにしようか。
ギャラリートークは、アップルストアにて。
これがとても面白く、集中して聞くことができた。
覚えてる範囲でかいつまんで書くと(自分用)
・人間が誕生したときに、二足歩行により両手が空いて、2つの行動があった。一つはこん棒を持つこと(主張)、もう一つは両手で器をつくること(受容)だ。これまで、こん棒系のコミュニケーションばかりが目立ってきたが、本来器系のスキルが、コミュニケーションにおいては重要だ。つまり、メッセージをどう受けるか。
・古来、日本人は自然信仰による多神教を崇拝していて、いろいろなものに神が宿っていて、そこら中に神がいた。それを迎えるために作ったのが「代(しろ。しめ縄を張った四角い空間)」である。中は空っぽ(エンプティネス)であるが、空っぽであることは「満たされる可能性」があるということだ。ここに神様が入る「かもしれない」ということに対して祈り、信仰が生まれた。
・代に屋根がつき「屋代(やしろ)」になり、鳥居が導入としてのエンプティネスとなり、神社となった。祈る者は、神社のエンプティネスに対して自分の願いを投げ、そこに神と一緒に入れることで、成就を願ったという。
・一方で海外では権力の象徴としての豪華さ、複雑さが良しとされていた。中国の土器も、インドの神殿も、イギリスの宮殿も、豪華で込み入った紋様が刻まれたものだった。今から150年ほど前に、人民が権力から自由になったときに、より用に即したデザインとして「モダニズム」が発生し、「シンプル」が発見された。
・日本では、応仁の乱以降、侘び寂びという観念が生まれ、茶室や庭等にも、よけいな物を置かない、空っぽなものが使われた。空っぽであることにより、何にでも見立てられる。そこにアイコンタクトのようなコミュニケーションがある。
・シンプルとエンプティネスは異なる。シンプルとは余分な飾りを排したもの、エンプティネスとは受け手によって変容するものである。例えば、18歳向けのシンプルさ、50歳向けのシンプルさ、ということがあるかもしれないが、エンプティネスは18歳の人にも50歳の人にも自分のものとして受け入れられるようなイメージ。それが無印良品の広告戦略のコンセプトにもなっている。
・・なんかところどころ抜けてるような気もするけど。
質問の時間に「アップルの製品はエンプティネスですか?」(アップルストアだったから)と聞いたら、苦笑されながら、「アップルの製品は手強いです」と言っていた。
iPhone/iPodTouchなんか、完全に器として設計されてるものだしね。
最初の方に「世界の均質化が危険だ」というようなことを言っていたけど、エンプティネスも均質化している例がiPhone/iPodTouchなのかな、と帰り道に思った。
ということで有意義なギャラリートークだった。追って「白」も読んでみたい。
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