book: 2007年10月アーカイブ

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一九三四年冬‐乱歩

「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」などのテレビドラマの演出家として有名な久世光彦さん(1935-2006)が50歳を過ぎて文筆家となり、書いた小説の一つ。山本周五郎賞受賞、第111回直木賞候補だそうな。

雑誌で目にした久世さんの記事がとても印象的で、すぐにamazonでこの本を取り寄せたのだった。
つっても半年前の話だけどね。やっと読了。

あらすじはこんな感じ。
昭和9年冬、スランプに陥った乱歩は麻布の「張ホテル」に身を隠し、短編を書き始めた。
張ホテルの謎めいた住人たちとの奇妙な体験、それに呼応するように書き進む短編「梔子姫」を通じて、乱歩は自身の内面の深部に迫って行く。

乱歩はこの時期、話が続かなくなって連載を中断するという失態を本当にしていて、その空白の時期を想像したのがこの小説の発想らしい。

冒頭で、入浴中に陰毛に白髪があるのを見つけて、40歳の乱歩が涙をこぼすシーンに象徴されるように、乱歩の中年男としての寂しさや作家としての不安を、生き生きとでもコミカルに描いている。だからこそ、とても悲しい。

それから、劇中劇のように書かれる小説「梔子姫」。久世さんのオリジナルなのに、ほんとに乱歩が書いたかのように面白く、狂っている。
もともと僕は乱歩の作品をそれなりに読んでいて、中でも「孤島の鬼」は十代の頃の僕にはかなりショックなくらい、ホモセクシュアルやら倒錯した美意識やら・・といった内容だった。梔子姫からはそれと似た空気を強く感じて、全然違和感がなかった。

「梔子姫」を書き上げた後。
作家としての自信を取り戻し、この作品を引っさげて文壇に舞い戻るーーそれが願いだったはずなのに、乱歩に訪れた虚しさは何だったのだろう。
「梔子姫」の最後で<私>が「自分は生きているのか、死んでいるのか」と言っているように、幻想を生きた後に感じる自分の存在の不確かさだろうか。
その虚無の深さは計り知れない。
そして、描かれている乱歩は、きっと「梔子姫」を発表しなかったのだろう。
現実に「梔子姫」は乱歩の作品として存在しないのだから。

あと。作品中で、乱歩はたびたび誰かに覗かれているような気がして、不思議がっている。
結局、視線の主の正体は明らかにならない。
思ったんだけど、その視線は読者(今回は僕)のものではないか。
つまり、この本を読むということは乱歩の執筆風景を覗き見るのと同じで、だからこそ作品中の乱歩も見られていることを感じ取って、訝しがっているんじゃないか。
本当はどうかわかんないけど、そのくらいリアルな江戸川乱歩の3日間がこの本の中には詰まっている。

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アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

ブラジルの小説家、パウロ・コエーリョさんの代表作。
以前から気になってはいたんだけど、会社の人がすごくいいと勧めてくれて、本まで貸してくれたので読んでみた。

サン・テグジュペリの「星の王子さま」と並び称される(=あとがき)というだけあって、童話っぽいストーリーの中に示唆に富んだ言葉が詰まっていて、半分小説、半分スピリチュアル本ぽい内容だと思った。
ざっくりしたあらすじは、スペインの羊飼いの少年が、宝物の夢に従って旅をすることを決め、羊を手放してサハラ砂漠を横断することを試みる、という感じ。
そういえば「星の王子さま」も砂漠が舞台だったな。
あ、あと高校生の頃、「かもめのジョナサン」を読んですごく感動したのを思い出した。系統としては似た感じになるに違いない。

後半の、自分の心と対話しながら砂漠を旅するシーンが印象的だった。
ちょっとクリシュナムルティさんぽいかな、と思った。見るもの、見られるもの、みたいな。

僕にとってこの「アルケミスト」は、33歳の今読めたのがよかったような気がするなあ。
他の著作も読んでみよう。(今度は違う人がパウロ・コエーリョさんの本を貸してくれるそうな)

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佐藤可士和の超整理術

多くの広告やロゴを手がけて注目されているアートディレクター、佐藤可士和さんが書いた本。
読めば少しは会社の机が片付くようになるかなー、と思って手にした。

佐藤可士和さんは整理を「『とりあえず』との戦い」と言っていて、まずそれが心にグサッときた。
確かに、「とりあえず置いとくか」「後でやるか」と机の上が汚くなっていく・・。
そして、捨てることが大事だとし、捨てるのは物を減らすためでははくて、今ある大事なものをもっと大事にするためだと書いていた。これも目から鱗。
そして整理というのは、散らかると困るからという理由でやる後ろ向きなものではなくて、ものごとの本質を見つけるための前向きなことだと定義。その整理方法が、佐藤可士和さんのデザインの軸でもあるという。

そして、整理を「空間」「情報」「思考」の3ランクに分けて、簡単な「空間」から順に整理のポイントを説明してくれる。
ここで面白いのが、佐藤さんの多様な実績の中から、「例えば極生のときもこういう視点の転換ができたからコンセプトが作れた」というような実例を挙げながら、説明してくれること。
こういうのは、僕なんかは以前から興味を持っていろいろ見ているので知っているけど、全然知らない人が読んだら面白いんじゃないかと思った。

とりあえず机も片付けて、引き出しの中も片付けて、PCの仕事データも片付けて、昨日は家のiPhoto(マックのアルバムソフトね)のデータ整理をした。
このiPhotoの整理がかなりの念願で、ここ3年くらいの3000枚以上の写真を(うち1000枚はボッサ)「ボッサ」「自分」「赤ちゃん」「植物」「ALESSI」とかってキーワード付けして分類した。これでかなりスッキリクリアー。
3時間くらいかかったけど、この達成感は確かにくせになるかもしれない。
あとは会社のメールだな・・。アレを整理する方法を身につければ、効率も上がるはず。

heyq.jpgちなみに、この部屋の写真は、7年ほど前の僕とかの(別れた奥さん)が同棲し始めた頃の部屋。写真を整理してたらCD-Rから出てきたので、整理の話題ついでに載せる。
えー、物凄い汚さですね。笑
僕は実家を出て暮らし始めて2ヶ月しか経ってなくて・・というのもあるかもしれないけど。いや、関係ないか、これは。笑
今でも、当時遊びにきてくれた友だちには、「昔コイツの部屋に行ったら物凄い汚くて土足で上がった」とかひどいことを言われます。

そう言えば普通に住んでるのに、なぜか風呂場にキノコ生えてたもんなー。笑
それ見て「珍しいもの見つけた!」的なノリで、かのとキノコの写真撮ってたもんなー。「日記のネタになるよ!」みたいな。笑
いやー、懐かしいなー。
おっさんくさい言い方だけど、若かったなー。(当時26歳)

今は多少マシになって、服も出しっ放しに(あんまり)しなくなったし、洗い物も(あんまり)溜めなくなったし、「床は1週間も掃除しないとホコリと髪の毛だらけ」ってことを知ってしまった。
ここ数年は女の子が来るときだけキッチリ片付けるようにしてたけど、最近はだんだん自分自身でも片付いてないと落ち着かなくなってきた。
かのだって再婚して赤ちゃんができてもうすぐお母さん歴2年になるわけだから、必要に応じて片付けもできるようになってるに違いない。
上の写真を見てると、つくづく時間と環境で変わるもんだなーと思う。ま、片付けができなくたって生きていけてたけどさ。

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タイポグラフィの読み方 (新デザインガイド)

夏から通い始めたタイポグラフィの学校、TypeShop_gを主宰している小泉均先生の著書。
実用書というよりはエッセイ的な内容で、いろいろなタイポグラフィの形を紹介している。
聞いたこともないようなのがたくさんあって、改めてタイポグラフィの奥深さを感じた。

小泉先生はスイスで本場のタイポグラフィを勉強してきた方で、大学でも教鞭を取っていらしたそうだけど、何十人を相手に教えるのでは本当のタイポグラフィの教育にならない、と、TypeShop_gを始めたとおっしゃっていた。
TypeShop_gでは、生徒は多くても4-5人くらいで、毎週一回朝の7時半から(夜の回もある)授業をして頂いている。

授業は立ってやって、コピー機とハサミ、セロテープだけを使う。コンピューターは一切使わない。
日頃コンピューターばっかり触ってるので、こういうアナログな作業がすごく新鮮で、勉強になる。

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